旅日記(オススメレストランやホテル情報もあり) 今月のお土産プレゼント 店主のつぶやきBlog 店主のひとりごと イタリア語のお勉強中の方へ ミラノ情報・2003年〜2005年 美味しいレシピ満載です! リンク集 フィレンツェのホームステイをご紹介しています お買い物代行承ります 翻訳サービスはじめました 直接商品をご覧いただけます
 
HOME > 旅日記
 
 

初めてのプチ語学留学・サン・マルコ美術館、ウッフィツィ美術館とヴァザーリの回廊編 <2008年6月14日(土)>

いきなりですが、この日は帰国日前日です。
学校は金曜で終了するので、最後の土曜日を”オール観光デー”に充て、通常の買い付けの旅ではなかなかゆっくり見ることができないあのウッフィツィ美術館に行こうと計画を立てました。
訪伊3ヶ月ほど前に、ルチアにウッフィツィの電話予約をお願いし、 ついでにダメ元でヴァザーリの回廊も鑑賞可能かどうか聞いてもらいました。この回廊、ずっと昔は常時開放していて、我が最初のイタリアの旅で確か見た記憶があるのですが、99年から期間限定で要予約でしかも強制のガイド付きとなり、見るチャンスがかなり限定されるようになってしまいました。 ルチアに色々調べてもらった結果、なーんと6月は14日の1日限りでウッフィツィ+ヴァザーリの回廊がセットになったガイド付きのツアーがあるとのこと。ただし、お値段は53ユーロ(約9,000円)!高〜〜い!でも、次回いつ入れるやら分かんないし、これも何かのご縁だわっと、事前に予約してもらったウッフィツィ単独の予約をキャンセルしてこのツアー参加を決めました。
このツアーの予約時刻は15時半。なので、まず午前中は、これまた念願のサン・マルコ美術館へ!

こんなに何度も何度もフィレンツェを訪れていながら、時間がなかったり、日曜月曜の休館日にあたってしまったりとずっとタイミングが合わなかったサン・マルコ美術館。やっとやっと入ることができました。

こちらは、サン・マルコ教会。バロック調のファサードはそれほどインパクトはないけれど、実は14世紀に献堂されたとても歴史ある教会です。
向って右側下の小さな入口から、今は美術館となっている付属修道院へと入っていきます。


↑入って間もなく、明るい中庭を囲む”聖アントニーノの回廊”に出ます。柱廊の一角にひと際目を引くフレスコ画が。→
”十字架刑に処されたキリストの前でひざまずく聖ドメニコ”。修道士にして、ここで宗教画を描き続けた画家でもあるベアート(フラ)・アンジェリコが描いたものです。
最早ここは、ベアート・アンジェリコによるベアート・アンジェリコのための美術館と言っても過言ではないほど、彼の作品にあふれていました。


回廊北側にある参事会集会室壁に描かれた”キリストの磔刑と諸聖人”。こちらもアンジェリコの作品です。
この部屋には、この修道院の鐘も展示されていました。 「ラ・カーサ・ミア」のchihoさんによると、1498年にこの修道院長であり説教家でもあったサヴォナローラがシニョリーア広場で処刑された際に、この鐘が大きく鳴り渡ったのだとか。

回廊南側にある宿泊所でも、アンジェリコの作品群に圧倒されます。(ほぼ全館撮影禁止なのが残念。。心に焼き付けようと目を皿のようにして見てましたが、既に色々忘れてしまってます。。(涙))
”キリストの十字架降下” ” リナイオーリの祭壇画”、あと、35枚の小さな板絵を組み合わせてキリストの生涯を物語った扉絵はかなり見ごたえがありました。”サン・マルコの祭壇画”は残念ながら修復中。。。

また、現在ブックショップとして使われている小食堂の壁には、ギルランダイオの”最後の晩餐”が描かれています。
ギルランダイオと言えば、オンニッサンティ教会の食堂にも同じ”最後の晩餐”を描いてますが、細かい差異はあるものの構図などはほとんど同じでした。(サン・マルコの方が先) ただ、かなり間近で見られるせいか、斜めの角度からだとかなり立体的に浮き上がっているように見えて不思議な感覚に陥りました。
それにしても、まさか大事な作品のある部屋が売店になってるだなんて思わないので、危うく素通りするところでした。

2階へ続く階段を上る途中、真正面にアンジェリコのあの”受胎告知”がいきなり見えて、はっと息をのみます。
想像以上に大きくて、圧倒的な存在感を放ちながらも、目の前に立った瞬間、何だか道に迷った子供の自分がやっと母親に会えた時みたいに、ほろほろと泣きたくなってきました。

ここには修道士たちの独居房が計43室作られていて、ほぼ全室公開されていました。独居房とは言っても、フロアー全体はとても開放的な空間で何となくモダンで、修道院全体をデザインしたミケロッツォのセンスの良さがうかがえます。
それぞれの房の壁には、 1442〜45年にわたってアンジェリコとその弟子たちが描いた”キリスト伝”の場面のフレスコ画が残されています。同じテーマの絵でも少しタッチが違っていたりするのは、弟子の描いた比率の違いでしょうか。。

↑ここも完全に撮影はNGなので、
廊下の窓から外だけ撮ってみました

1つ1つの部屋はとても小さくて何もなくて、窓はあったりなかったり。。。ただただこれらの絵を見上げ、”天使のような画僧”と呼ばれたアンジェリコの教えを乞いながら、静かに瞑想する修道士たちの姿が目に浮かぶようです。

2階の最も奥まった場所に、修道院長室、つまりサヴォナローラが礼拝堂、書斎、僧房として使っていた部屋(房3つ分)があり、当時使用していた椅子や机、身につけていたマントや首飾りなどがそのまま残されています。お馴染みの鷲鼻でちょっと固いイメージの彼の肖像画は、それまで何枚も何枚もアンジェリコの柔らかで崇高な絵を見てきた後だけに、ちょっとした違和感を感じないでもなく。。。

この階には図書館もあり、中世の楽譜本や彩色用の絵の具、専用消しゴムなど道具類の展示が興味を引きました。

フィレンツェに数多ある美術館の中で、このサン・マルコ美術館が1番好きだという声はよく見聞きします。
確かに、このベアート・アンジェリコの清らかで敬虔で慈愛に満ちた作品たちに囲まれていると、心からほーっとします。
タイミングさえ合えば、毎回訪れたいな。。

こちらはウッフィツィ美術館とヴァザーリの回廊のツアーガイド案内。15時半にウッフィツィの入り口3番に集まって、15時40分から1時間半ウッフィツィの見学をして、17時15分から18時15分までヴァザーリの回廊見学です、というスケジュールが書かれています。はてさて、そんなにぴっちり時間どおりにいくのかな〜〜。
ちなみに、ツアー最少催行人数は25名。
プルマンでおなじみSITA社の企画ツアーで、事前に旅行代理店に行って支払済み。つまりは、ウッフィツィのように単独でヴァザーリ回廊は予約したりできないってことですね。。

↑実はウッフィツィは、最初のイタリアの旅で見て以来なので二度目。それは1993年10月のことで、奇しくも、美術館近くで自動車爆弾による爆発事件(確かテロ)があった5ヶ月後のこと。建物の一部も壊れ、美術品や資料も一部被害を受けたとのことで、何とか公開はしていたものの、入れない部屋や見られない作品がいくつかあったように記憶しています。

さて、 15時半前に到着です。予約済み窓口3番のところに行き、自分の名前を言ってガイド案内と領収書を見せます。
最少人数25名と言いながら、結局我々のグループは17名。もちろん、私以外全員イタリア人。そう、このガイドってイタリア語のみなのでした〜〜(苦笑)。頑張って聞き取るしかないのだ!
15時40分からスタートと言いながら、手荷物検査のため他の窓口に全員一緒に並びなおして待つことに。。。 長い傘や大きなリュックサック、ペットボトルもダメという厳しさぶりで、結局大行列の末全員中に入れたのが30分後!18時35分には閉まっちゃうのに大丈夫なのかなーーと、プチいら。

さぁ〜、駆け足のウッフィツィ見学が始まります。この膨大な量の作品をどう案内してくれるんだろうと思ってたら、やっぱりかーなり重要作品のみ限定でした。 入口に近い廊下に掛けられた、コジモ1世の妻”エレオノーラと息子の肖像”を皮切りに、第2室のチマブーエドゥッチョジョットのそれぞれの聖母の祭壇画、第3室のシモーネ・マルティーニの”受胎告知”、第5、6室ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ”東方三博士の礼拝”、、、というふうに1室に1点か2点絵を前にしてトクトクと説明。他の作品は見る暇を与えず!でした。既に私のヒアリング集中力はこと切れて、他の作品もちょこちょこ見つつ、駆け巡るグループについて行ってました(苦笑)。
第8室のフィリッポ・リッピ”聖母子と二天使”は大好きな作品。第10〜14室のボッティチェッリの部屋に入った時は、なぜかちょっとうるっと来てしまいました。”ラ・プリマヴェーラ””ヴィーナスの誕生””石榴の聖母”マニフィカトの聖母”。。。
息を止めたり溜息ついたり。。やはり、ガイドブックやネットで見ているのとはわけが違う、このビシバシと感じるエネルギーにはすごいものがあります。15年前に来た時、これらをちゃんと見たんだろうか、あの頃は私はあまりにも無知で無邪気過ぎてた気がします。。。(恥)そう言えば、ボッティチェッリってサヴォナローラに心酔して影響を受けた後、作風が変わって人気が急落して絵もやめたとか。。これらを燃やさずに済んだことは何よりだけど、この面でもサヴォナローラの罪は大きいなぁ。
第15室はダヴィンチの部屋!”受胎告知”、ちゃんと日本から帰ってきてた!(当たり前)東京だとすごく館内が暗かったし人も多かったしで、やっぱりここで見るのが1番です。彼の初めての参加作品”キリストの洗礼”もやっと実物が見れました。メディチ家の所蔵する貴重な絵画や彫刻を収める部屋・トリブーナはささっとちら見しただけでさっさと行っちゃいました。(もっとしっかり見たかった!)
25室のミケランジェロ”トンド・ドーニ”は、丸い金の額縁も彼のデザインだそうで、5つの頭部の浮き彫りのリアル感も生鑑賞ならでは。
さて、この時点で5時半。ガイドさんが警備員風の女性二人に話をした後、おもむろにその後ろの扉が開かれ、我々17人のみが案内されました。ウッフィツィ内の喧騒とは一転、静寂に包まれた空間が続きます。ここがヴァザーリの回廊か〜。(15年前のことは全然覚えてない)
階段を降りると、例の爆弾テロで一部焼け落ちた絵が生々しく目に飛び込んできます。

そもそも、ヴァザーリの回廊とは、本来役所だったウフィッツィ(イタリア語でオフィス)と住居であるピッティ宮殿をつなぐメディチ家専用の廊下。メディチ家の人々がこの間を外に出ることなく行き来できるようにと、コジモ一世の命によってジョルジョ・ヴァザーリがたった5ヶ月で完成させました。
途中角々と折れながらも、全長1キロにわたる廊下の両側には整然と絵画が掛けられています。とにかく圧巻なのが自画像コレクション。ヴァザーリはもちろんのこと、ティントレット、ルーベンス、ラファエッロなど数々の巨匠達たちから全然名前も知らない方達の顔が果てしなく続きます。誰が描いたかはあまり重要じゃないようです。 なので、正直だんだん飽きてきます(笑)
↑何より素晴らしかったのが、空中散歩さながらの景色。グループの人達も、作品そっちのけで外の写真ばっかり撮ってました。(内部は絶対撮影禁止。外に向かってのみOK。警備員女性は監視にずーーっと一緒についてきてました) 
コの字型に建てれらたウッフィツイ美術館。向って右側をずっと見学してきたわけです。
アルノ川を見下ろすと、何やら賑やか。この日はカヌーの試合が行われていて観客が大勢集まっていました。

↑ポンテ・ヴェッキオがこんな位置から見られるなんて〜♪ ちょうどこれから橋の2階部分を歩くわけです。
橋の上のお店たちもよ〜く見える〜。
完全に外界と遮断されたような特別な空間にいる気がして、これはなかなかいい気持ちです。

本日のベストショット。
連日の雨で川が濁ってるのがもったいないけど。

橋の上からカヌーを見ている観客たち!わらわはここじゃよ!

ポンテ・ヴェッキオを渡り切った先には、メディチ家の人々が外に出なくても礼拝できるように作られた、サンタ・フェリチタ教会内の専用バルコニーが望めます。メディチ家恐るべしです。そこを過ぎてしばらくいくと、外に出るコースが現れました。ピッティ宮殿のボーボリ庭園の脇に出られるようです。出たい人はここで解散。私はまだウッフィツィの残りを見たいので戻り組に同行。もと来た道をまた1キロ歩いて、同じ扉から出て、ここで完全に解散です。
この時点で18時25分。まだ26室から先45室まで全然見てないのに!!
大慌てで走り回るも、26室のラファエッロの”ひわの聖母”は修復中だし、やみくもに入ったら迷うしで軽くパニック。。
そんな中、28室のティツィアーノの”ウルビーノのヴィーナス”を目にして一気に力が抜けます(苦笑)。せっかく日本に来てたのに結局見に行けずじまいだったので、無事に戻ってきてくれてたことに感謝。
そして、タイムオーバー。カラバッジョが1つも見られず撃沈。。きっちり6時35分に追い出されました。学芸員の方たちもお客さんを追い立てながらさっさと退散していきます。 やっぱり、ウッフィツィは一人でじっくり見るべしですね。
でも、今回はヴァザーリの回廊に入ることができて、やっぱりラッキーでした。

↑美術館を出て、改めて、あの廊下がどんなふうになってるのか確かめたくなってたどってみました。
ウッフィツィを出て、ポンテ・ヴェッキオを渡って。。。
↑ポンテ・ヴェッキオ橋を渡り切るところの何ヵ所かの分岐点。あの出っ張った個所はなんだっけ。。
サンタ・フェリチタ教会の脇を通って。。

ボーボリ庭園のブォンタレンティのグロッタの脇をずずっと通って、終点。

ん〜〜、メディチ家もすごいけど、ヴァザーリもすごい。これを5ヶ月で作り上げた職人たちはもっとすごい。
フィレンツェの最後の夜(これでも19時15分)の見納めフォト。
またすぐに戻ってくるからね〜

前後しますが、次回はキャンティでのランチ&散策レポートです!