旅日記(オススメレストランやホテル情報もあり) 今月のお土産プレゼント 店主のつぶやきBlog 店主のひとりごと イタリア語のお勉強中の方へ ミラノ情報・2003年〜2005年 美味しいレシピ満載です! リンク集 フィレンツェのホームステイをご紹介しています お買い物代行承ります 翻訳サービスはじめました 直接商品をご覧いただけます
 
HOME > イタリア語講座
 
 
《 zio の La piccante vita 》 -OTTAVO-(2002/04/08)  <バックナンバー>

Ciao carissimi! (チャオ カリッスィミ!/やあ、みんな)
E' primavera! (エ プリマヴェーラ/春です)
La primavera italiana e bellissima. (イタリアの春は、とてもすばらしいです)
Pero e sempre difficile svegliarmi la mattina. (でも、朝起きるのが辛いんですよね〈春眠暁を…〉)
                                ※
 ごぶさてしておりました。寒く暗い冬もようやく終わり、気持ちのよい春真っ盛りのイタリアです。
先日Pasqua(パスクワ/復活祭)の休暇を利用して、イタリア中部トスカーナ州の古都シエナに住む友人を訪ねてきました。その折り、郊外の自然の中でバーベキューをしたのですが、その場所がまたすばらしかったのです。聞こえるのは鳥のさえずりと風が草木を揺らす音、そして子供たちの笑い声。目の前に広がるのは青い空と森の深い緑、そして牧草の淡い緑に石壁の白。いや〜、やっぱりトスカーナの田舎はいいっす!
 ちなみに、たとえ気に入った土地が見つかってそれを買えるだけのお金があっても、日本のように簡単に家を建てることはできないそうです。景観保護の目的で、シエナ周辺の丘陵地帯には新たな建築許可は出ないとのこと。
とにかくトスカーナの田舎に住みたい!という人は、すでに建てられているモノを買うしかありません。
しかしイギリスのブレア首相やスティングをはじめ、それにドイツやアメリカのお金持ちたち、そしてもちろんイタリアのお金持ちたちがめぼしい物件を購入してしまっているので、かなりの供給不足。そのため家の値段は高騰。それに伴い、田舎だけでなく市内やシエナからかなり離れた小さな町までその影響が及んでいるそうです。
 イタリアの国土は日本とほぼ同じくらいの広さ、でも人口は約2分の1。つまり空き地はたくさんあるけれども、先ほどの規制やインフラ不足などの影響で住める場所が限られている。そうすると条件のいい物件は必然的にお家賃高め。やれやれ、夢のトスカーナ田舎暮らしもやっぱり庶民には遠い夢なのね…
                                ※
 まえふりが長くなってしまいましたが、今回のテーマは『永遠の都ローマ、ピンポイントガイド』です。
店長のヨリさんが前回ローマに初上陸した(って、それは去年の話じゃ) のを記念して、zio流のローマの楽しみ方をお伝えしたいと思います。
 みなさんは「ローマ」と聞いて、何をまず思い浮かべますか?スペイン広場?コロッセオ?トレビの泉?それともバチカン?今ならASローマ、なんて言う人も多いかもしれませんね。

僕の場合、まず一番最初に思い浮かべるのがアルベルト・ソルディという俳優さん。戦後に発生した「ネオレアリズモ」という映画潮流の後半、ちょうどフェデリコ・フェッリーニの名前が世界的になる前くらいから活躍しているコメディー映画俳優なんです。ローマ方言風のアクセントといかにもラティーノらしいぎとぎとした目元、そして憎たらしいのに憎めない愛嬌のある表情が彼の武器。代表作を挙げると前挙したフェッリーニ監督のlo sceicco bianco(ロ・シェイッコ・ビアンコ)≠竍i vitelloni(イ・ヴィテッロ
ーニ)=Aそれから彼を一躍人気者にしたコメディUn americano a Roma(ウン・アメリカーノ・ア・ローマ)=Aさらにちょっと辛口の戦争映画tutti a casa(トゥッティ・ア・カーザ)≠ネどなど。
フェッリーニ作品はたぶん日本でもビデオで出ているはずなので、興味のある方は是非。ちなみに、アルベルト・ソルディの公式HPというのもあるので、そちらも興味があれば…http://www.albertosordi.it/(内容超充実、でもイタリア語のみ。ああ、僕が彼の作品について論文を書いていたときこのサイトがあればどんなに助かったことか…トホホ

 で、ローマピンポイントガイドなのに何故アルベルト・ソルディがでてくるの?と思っているでしょ。その通り。今回僕が紹介したいのは、この俳優さんとそれにまつわる有名な人たちが何らかの形で関わりを持っていたある場所、いやいや、もっとピンポイントに言ってしまうと『ある小道』なんです。 その名もVia Margutta(ヴィア マルグッタ)=B前回、店長のヨリさんがローマで泊まったホテルの住所、みなさんは覚えていますか?覚えていない方はバックナンバーで確認してください。ローマ編その1

その中で、ヨリさんがホテルの紹介に使った一文をちょっと引用させてもらいます。
《宿泊中のHotel Forteのある通り、Via Margutta。この通りの51番地にあるアパートは、あの映画"ローマの休日"の新聞記者、ジョーの住むアパートとして登場しています》
ふむふむ。早速出てきましたね、映画の題名が。そうなんです。この通りは、なんだかんだと映画によく出てくるんですよ。前出のUn americano a Roma≠ノも出てきますし、他にも探せばたくさんあるはずですよ。それから、僕がこの道をみなさんに紹介したいと思った一番の理由は、一時生前のフェデリコ・フェッリーニとその奥さんで女優のジュリエッタ・マジーナが住んでいたこともあるんです。

すごいでしょ。日本で言うところの…日本で言うところの…うーん、ああ、あれ、えっとなんとか荘、なんだっけ…有名な漫画家がいっぱい住んでいたボロ家(失礼!!)、ああ出てこないや、まいっか。
 さてさて、この通りが何らかの形で映画に関係していた、ということは何となくわかっていただけたと思います。では何故たかだか全長1キロにも満たない、しかも道幅なんか5〜6メートルの小道が、東洋の小島で暮らしていた鼻垂れ小僧(僕のことですよ、もちろん)が知るほど有名になったのでしょうか?それは、先ほども書いたようにフェデリコ・フェッリーニが住んでいたこともあるのでしょうが、それよりももっと確実と思われる推測があるんです。それは、外国人のインテリが多く住んでいたからなんです。
 第二次世界大戦が終わり、戦後の苦難を何とかかいくぐって迎えた1950年代、ローマには数多くの外国人、特にアメリカ人が観光または商用に訪れるようになりました。その波に紛れて、多くのインテリたち、ジャーナリストや詩人、小説家、画家、映画関係者等々もローマに流れ込んできたのです。そして、そんな外国人インテリたちはローマの中心ともいえるスペイン広場のすぐ側にある、このVia Marguttaに集まってボヘミア〜ンな日常を展開していたのです。
 人が集まれば町は栄えます。もし集まった人たちがお金持ちであれば、町はもっと栄えます。戦後のローマは、いわゆるお金を持った外国人(勝利国)の人たちが集まり、彼らを迎えるために豪華なホテルやレストラン、そしてナイトクラブなどが営業を始め、La dolce vita(ラ・ドルチェ・ヴィータ/甘い生活)≠ェ繰り広げられていました。
 しかし、この甘い生活はあくまで「お金持ちの外国人」のものでした。地元のローマっ子たちは、自転車を盗んだり(『自転車泥棒』ヴィットリオ・デ・シーカ監督)貧乏人の弱みにつけ込んでお金をだまし取ったり(Il bidone(イル・ビトーネ)<tェデリコ・フェッリーニ監督)、はたまたアメリカ人に憧れてあこがれてアコガレてアメリカ人になりきってしまったり(Un americano a Roma<Xテーノ監督)と、なかなかPiccante(ピッカンテ/辛い)な生活を送っていたのです。

 現在のVia Marguttaは、アンティーク家具屋さんや絵画や彫刻のギャラリーが数件、カフェが一軒、レストランが一軒あり、ちょっと迷い込んだだけではなんの変哲もない普通の小道です。

しかし、所々で「おやっ」て思えるシーン、どことなく雰囲気のよいシーンが目に入ってきます。

辛抱強くここまで読んでくださったみなさんはもうおわかりですよね。このピンポイントガイドのポイントは、そこにある『何か』を見たり触れたり食したりするわけではないんです。『何か』が繰り広げられていた『そこ』に誘うガイドなんです。
 今回はたまたま僕が映画好きで、ちょっぴりイタリア映画の勉強なんぞをしていたものですから、こういう展開になったわけですが、もしみなさんの中に塩野七生さんバリの古文書解読オタクがいたとしたら、ピンポイントされる『そこ』がカンピドリオの丘だったりフォロだったりするのでしょう。
「きゃー、ローマよ!!」
「きゃー、スペイン広場でジェラート食べた〜い」
「きゃー、トレビの泉にコインなげちゃった〜」
「コロッセオって、馬のウンチくさ〜い」
というコメントばかりではなく、できることならみなさんの、いえ、あなただけのピンポイントローマを発見してもらいたいですね。そうすれば、きっと永遠の都ローマがぐっと身近に感じられると思いますよ。
amore e pace
zio