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<11/Ottobre(10月)/2005> a Urbino vol.2 <2005年10月11日(火)>

▲上はどちらも、ウルビーノの代表格的建造物でルネッサンス建築の傑作とされるドゥカーレ宮殿の一部分。2つの塔を抱える優美なファサードに、内部に螺旋階段を持つ円筒形に突きだした稜ほ。それぞれ同じ建物とは思えない全く違う表情を見せてくれます。この地を治めていたモンテファトロ家の君主・フェデリコ公の、芸術的センスのなせるワザと言ったところでしょうか。(フェデリコ公とは、ウフィッツィ美術館にある、ピエロ・デッラ・フランチェスカ作の、赤い帽子・衣服と小さい和鷲鼻が特徴的な左顔の肖像画の人です。きっとあ〜あ〜と言う方多し。)

”1年間と同じ日数分の部屋がある”とまで言われる巨大な建物ですが、マルケ国立美術館への入り口は1個しかありませぬ。ひょっとして2つの塔の側にもあるかしらん、、と探してみたけど無駄な努力でした。入り口のあるドゥーカ・フェデリコ広場側から見た、こちらもやっぱりドゥカーレ宮殿の一角。

入り口からすぐに、ぐるりと柱廊に囲まれたエレガントな空間の中庭に出ます。庭の中央に向かって少し地面が傾斜していたような気がするのですが、特にこれについての記述はどこにも見あたらず。。

いくつかのサイトやガイドなどで、内部の見学はグループごとに案内役と共に...と書かれてありましたが、終始1人で自由にまわれました。
とにかく、半端じゃない広さ。そして、14世紀から16世紀にかけての膨大で貴重な作品の数々。けっこう美術館では一部さーっと見て流すこともあるのですが、ここでは1つ1つかなり丁寧に見て回りたくなるくらい、見応えがあるものばかりでした。
右は、フェデリコ公の書斎の上部にある名士たちの肖像画。カラーで出ているのは実際にここにあるもの。セピア色のは現物はパリのルーブル美術館にあるとか。(本当は撮影禁止。以下同。ごめんなさい)

同書斎を始め、他の部屋にも多数用いられていた扉の寄せ木細工は、まるで絵画そのもののようにそれはそれは見事でした。
一部は、ボッティチェッリや建築家のブラマンテの下絵を基に作られたとのこと。

また、Vol.1でも書きましたが、ここウルビーノはかのラファエッロが生まれ育った地。しかし、この美術館に残る彼の作品は「貴婦人の肖像画」ただ1点のみ。まぁ、11歳でウルビーノを去ってしまったのだから無理もないですが。。(生家は現存)ただ、彼の父上、ジョヴァンニ・サンティの作品は数多く見ることができます。父上も立派な画家だったのですね、知らなかった....。
左側が、かの有名な「理想都市の風景」。ウルビーノは、フェデリコ公によってまさに”理想都市”と称されていてそれを表現したものなのですが、イメージしていたよりものすごく小さくてちょっとびっくり。
完璧な透視図法は、さすがドゥカーレ宮殿を設計した建築家、ルチアーノ・ラウラーナ作だけのことあり。シンメトリーにも若干外しがあって、それがまた美しいんだな〜、きっと。


▲一旦美術館を出て、何気に地下に誘導される入り口を発見。入ってみると、これがけっこう面白かったのです。
厨房や洗濯室、食材倉庫、染め物室など、宮殿の衣食住を一手に担うスペースがこんなところに!
地下ですから壁側には窓は一切ないのですが、天井や上階との隙間に上手く明かり取り用の窓が作られていて、陰湿なイメージは一切なし。私としては、上階の美術館となっているかつての貴族達の住居よりも、この空間の方が、忙しく働く裏方さん達の気配がリアルに感じられて、なぜだかとてもワクワクしました。
▲次に訪れたのは前述の”ラファエッロの生家”。ラファエッロ通りの始点近くにあります。入り口は簡素ですが、中は3階式構造になっていてかなり広々とした造り。彼の品のいい顔立ちとこの住まいがしっかりリンクするような気がしました。左写真がラファエッロの部屋で、彼の10代の作品であるフレスコ画「聖母子像」の本物を見ることができます。技術的にはとても10代のものとは思えませんが、繊細な年頃ならではの優しく穏やかな作品でした。他にもラファエッロ自身の作品があることはあるのですが、他はすべてコピーとのこと。父上の部屋もありましたが、ラファエッロの部屋の方がうんと広い。いつの世も同じ?右写真は中庭と当時から残る井戸。

▲町の学生達の喧噪を避けるように、城壁をたどって町の外周をぐるりと散策。ほとんど人気もなく、石とれんがのみに囲まれていると、本当にいつの時代だか分からなくなってしまいそう。。。所々色づき始めた木々を含むのどかな田園風景にまた心を和ませていました。
レプッブリカ広場からガリバルディ通りのポルティコ(柱廊)アーケードを突き当たると、そこから螺旋階段を下りることができます(日中のみ開放)。広々と緩やかな傾度に設計された美しい階段でしたが、壁は落書きだらけ。。あーぁ。。
これを降りきると、プルマンが停車するメルカターレ広場に直接出ることができます。
坂道&階段の多さについにギブアップ。一旦ホテルに休憩に戻ります。
ここサン・ドメニコホテルは、お隣のサン・ドメニコ教会の修道院だった建物をリフォームして作ったホテルで、4F客室フロアの廊下の片側からは、ガラス壁を通して教会の中が見えるようになっています。
この時期、夜7時頃だとまだこんなカンジで薄明るいです。
ドゥカーレ宮殿の2つの塔側のファサードがライトアップされていて、また違う表情を見せてくれます。夜が更けようとしても、大学周辺はまだまだ学生の固まりがほどけることはありません。賑やかだな〜、でも落ち着かないな〜。。

▲大事な大事な夕食の舞台。さんざん迷ったあげく、これまた先の雑誌で紹介されていたトラットリアに行くことにしました。やはりこの土地ならではのi piatti locali(郷土料理)をいただきたい。野菜ソースのパッサテッリという手打ちパスタ料理と、マルケ州は特に豚が美味しいそうなのでサルシッチャというソーセージの炭火焼きにチーズをのせたセコンド料理をオーダー(これも結局雑誌のまんま)しました。パッサテッリは、実はラヴェンナでも”ロマーニャ地方の伝統料理”ということでスープパスタでいただきましたが、こちらもまた美味!ズッキーニやトマトやにんじんなどの野菜がまた甘い!サルシッチャも、一口目、うま〜〜い!!ペロ〜(しかし)、かなり塩が強くて最後の方はちょっと大変でした。無味で素朴なテーブルパンが非常にありがたかったぁ。。。

8時前にもなると予約なしでは入れないくらいの人気ぶり。1人の場合は開店と同時がねらい目です。
お腹がいっぱいになったと言うと、食後に、近郊の村・フラッテローザで作られたというビスコッティ(名前はストラッカデントと言っていました)と、これに合うデザートワイン(こちらも近くのペルゴラという村製)を勧められました。ビスコッティは、私のお気にのプラート製のより柔らかめで、そのままでも噛めます。こういう基本のお菓子って、各地方で色々なタイプがあるので、それを試してみるだけでも楽しいです。おまけに、デザートワインが美味しくて2杯も飲んじゃいました。あ〜んまかった!

お水と赤ワイン(1/4)でしめて22ユーロ(約3,000円)。満足度高し。
La Trattoria del Leone
Via Cesare Battisti, 5 (レプッブリカ広場から、ラファエッロ広場に垂直に交わるC.Battisti通りに入ってすぐ左)

夜9時前、レプッブリカ広場だけが賑やかで他は見事に閑散としています。 若者たちは、やはり立って固まって特に何をするでもなくひたすらしゃべっていました。この国は、老若男女、昼夜問わず井戸端会議好き。

明日はうって変わって港町・アンコーナへ向かいます!