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日本人旅人的イタリア人についての一考察 (2004/06/16)

実際にイタリアに住んだことがある、または今も住んでいる人がその生活体験談を書いたものを、書籍をはじめ今やHP上からも実にたくさん目にすることができます。それらの全てに目を通したわけではないのですが、その人自身のタイプというか、その人が体験したイタリアのイメージ、実態の書き方のタイプとして大まかに2つに分かれると思います。予想を上回る物事の進まなさとルーズさに“もうやだ!”と怒り心頭のタイプ、不自由なことも多いけど何だかすっかりなじんで楽しんでるタイプ。でもって、そのどちらのタイプの体験談を読んでも、「そうそう!そうなのよねー」と我が意を得たとばかりにうれしくなること数えきれず。私も既に15回ほどイタリアを訪れていますが、とは言っても滞在期間はせいぜい1週間から10日間。最初の頃は、感動する数と同じくらい、びっくりしたりあきれたりすることもありました。今では良くも悪くも慣れてしまいましたが、そんな旅のレベルとは比較にならないくらい、実際に住むとかなり大変そうだとお察しします。(でも住んでみたい〜♪)幸いにも、今まで一度も怖い目に合わず、直接何か被害を被ったことがないこともあって、イライラひやひやくらいは我慢にも入らないカワイイレベル。そんなあくまでも旅人的に、そして日本人的に、生意気ながら”イタリア人という人たち”を語らせていただこうと思います。

<並ぶの、いや並ばせるの大好き?>
美味しいラーメン屋さんの前はいつも最低30分待ちの行列ができているなど、日本人も大概我慢強く並ぶ方ですが、それは美味しいラーメンを食べたいという我が食欲を満たすため。もし、銀行や郵便局や駅などの公共的な施設だと、並んでる方も怒るけど、まず並ばせて放ってはいませんよね(月末のATMはしょうがないけど)。銀行なら整理番号のチケットを取って、待ってる間はソファで読書なんぞもできるし、駅もほとんどオートマチックで、老若男女それらをちゃんとこなしてます。イタリアでは、まず、駅ではまだまだ窓口業務がメインです。でも、ここ何年かの間に随分自販機も普及して、小さな駅でも最低1台は見かけるようになりました。しかーし、それを使用しているのは大概外国人観光客で、イタリア人は実に辛抱強く窓口に並ぶのです。この自販機(英語あり)って実に優秀で、時刻表代わりにもなるし、席も窓側、通路側と指定できるし、カード払いもできる。慣れればほんとに早いし簡単です。故障もほとんど見かけないようになりました。でも、元来機械を信用していないのか、面倒なのか、会話好きなのか、やっぱり窓口に並ぶのです。自販機の前はがらがらなのに。でもって、窓口は、大体3分の1は閉まってます。どんなに大行列をなしていても、日本のスーパーのレジのように、混んでると「こちらへどうぞ〜」と閉まってたレジを開けることなど、決してありません。しかもひどい場合だと、まだまだ並んでるというのに、休憩を取るのか早退するのかいきなりぴしゃっと閉めちゃったりする場合もあります。せっかく辛抱強く並んでたのに、もうゴールは目前なのに、また隣の列の最後尾に並び直しです。郵便局でも行列は絶えません(大きな町に限りますが)。窓口がそもそも少なくて、局員は各窓口に1人ずつ応対します。後ろに他の局員が通っても、日本のように後ろから横から総出で受け付けてくれることは決してありません。そして動きが実にピアノピア〜ノ(ゆっくりゆっくり)です。ものすごくよく言えば丁寧とも言えるかも知れませんが、そもそも、“きびきび“という言葉は存在しないのだと思います。でも、お客さん達は誰1人文句を言わず、時々シニョーラが「チッ」と舌打ちをする程度で、辛抱強く並んで待ってます。けっこう見てると可笑しいです(最初はかなりいらつきました)。そもそも、特に公共機関で働く側も利用する側も”お客様“という概念がないんでしょう。お客様をお待たせしてはいけない、なんて言うのは日本だけかも。このサービス至上主義は日本人の誇りと言っていいでしょう!

<クルマを操るのはお手のもの>
もう既にご存じの方も多いと思いますが、イタリア人は駐停車の名人です。それはもう神業と言っても過言ではありません。1台分ほんとにぎりぎりしかないスペースでも、素晴らしい縦列駐車テクニックで前後数センチの隙間を残してすっぽり停めてしまわれます。ちょっとバンパーをかするくらいへっちゃらのようです。クルマをなで慈しむという発想はないのか、どのクルマもほこりまみれで傷だらけ。いちいち気にしてたら、この駐車状況ではきっと身が持たないでしょう。
加えて運転もお上手です。とは言っても、旅行者がそれを感じるのはタクシーの運転手に限ってですが。乱暴のように見えて見事なドライビングテクニックは、指示機なしなし無法状態でも安心して(実は手に汗握ってる)乗っていられます。クルマはすべてマニュアル車なので、余計に彼らの“クルマの操り具合”がよく分かります。私も都内でよくタクシーを利用しますが、失礼ながら下手っぴな運転手さんが実に多いのです。ほとんどAT車で、ぶーんぶーんってアクセルの刻み的踏み込みが多くて、常に体が微妙につんのめってる感じが気持ち悪い。それはさておき、イタリアに行かれた際は、ぜひ駐車の様子をじっくりと見てみて下さい。感心して笑えます。
  

<テキトーで情に厚い車内検札?>
私の1人旅の移動手段は、もっぱら列車です。主要幹線では(時にはローカル線でも)車掌さんが検札に回ります。もちろん、いつも事前に切符を買って、席の予約が必要な場合は予約し、乗車前には黄色い刻印機に入れて日時をちゃんと刻印することも忘れませんから心配なし。でも、ある時、ローカルな路線で無人駅のごとく小さい駅で休憩中なのか切符が買えなかったことがありました。そういう場合は、正直にそういえば全然OKなのですが、特にローカルの各停だとそれほど金額もしないからか、特に請求されることもなく、ほいほいっとそのまま立ち去ってしまわれました。え?いいの?ってなカンジです。また、プーリア州に行ったとき、バーリへ戻るためにマルティーナ・フランカという町の駅構内で待っていて、その場に居合わせたナポレターノ(ナポリ人)の男の子と、一緒の列車に乗ったのですが、話をすることに気を取られて乗車前の刻印をうっかり忘れてしまいました。刻印しないと切符を持ってても違反金を取られると聞いていたのでもうドキドキ。車掌さんに正直に「忘れました。。」と言ったら、私の切符を手に取って、何食わぬ顔でマルティーナ・フランカを出発した時刻をボールペンで書き込んでくれて、はいおしまい。え?ペナルティなし?いいの?更に、隣に座ってるナポレターノはなんと確信犯的無賃乗車。もごもごなんか言ったと思ったら、車掌さんは次の席に行ってしまい、それからも何度か往復して横を通り過ぎていくだけ。1時間後バーリに到着する直前に、車掌さんが近づいてきて一言。「次からちゃんと買うんだぞ!」テキトーなのか、優しいのか、よく分かりませぬ。

<彼らはほんとに陽気で愉快な仲間達?>
友達からよく「イタリア人ってみんな陽気で明るいの?」と聞かれます。私も最初はそう信じて疑いませんでした。タクシーに乗れば運転手さん達は気軽に話しかけてくれて、あわよくばバリトンさながらに歌の1つも聞けるのかと思ってました(なんちゅう誇大イメージ...)。しかし、結論を言うとごくごく普通です。むやみやたらに誰彼なしに、明るく笑って応対してくれるわけではありません。そりゃそうです。ただ、実際に住んで近隣の人たちと親しくなって友達になって気心もしれば、心から生活を楽しむ手本になるような人が相対的に多いと気づくのかも知れません。旅人レベルではほんとのところは分かりません。しかも、いわゆる陽気なイメージに当たる南イタリアを、私がそれほど知らないということもあります。私が知る数少ないイタリア人も、ごくごく真面目で堅実、時間にもきっちりしているし、家族、友達思い....どちらかといえば静かな”陽”というイメージです。ただ、今まで旅をしてきて、瞬間でも多くの人たちに触れて感じたことは、彼らのようにしっかり自分を出す、主張するのは大事だわということ。体面やどう思われるかを気にしがちな私には、彼らの所作はある種憧れ。黙ってあれこれ気にしてないで、がんがんしゃべって笑って怒って泣く。このメリハリがいいんだろうなと勝手に想像しています。

<しゃべるのが早いのはおしゃべり好きだから?>
イタリア人はいつでもどこでもほんとによくしゃべってます。最初の頃、ミラノ・マルペンサ空港からチェントロに行くリムジンバスの中で、発車早々「プロ〜ント(もしもし)!」と大きな声で携帯で話し始めた女性にまずびっくり。しんとした車内によく通る声で、ぺっちゃらくっちゃらよくしゃべるしゃべる。会話の内容がほとんど分からない私にとっては、徐々に、ちょっとうるさいBGMくらいな感覚で聞けるようになりましたが、イタリア人だと丸分かりだから耳障りだろうなぁと思ったものでした。それとも、みんなそうだから割と平気なのかしら?リストランテでも、友達、夫婦と数人単位でみんな楽しそうに話をしながら食事をしています。その様子を見ていると、いつお料理を口に運んでるの?っていうくらいよくしゃべってます。それはもう老若男女問わず。人の話を聞くよりもまず自分がしゃべる、みたいな勢いです。まぁ、私たちも女同士数人で食事に行ったらば、機関銃のごとくしゃべりあって笑って全然お料理が減らない、なんてこともありますけどね。それにしても、イタリア語はとにかくスピードが早い。いつ息継ぎするのかしらと、息を詰めて見つめてしまうこともしばしばです。そこでいつもいいなぁって思うのが、5、60代の年配のご夫婦が食事している風景で、それがピッツェリアであろうとちょっとおしゃれなリストランテであろうと、実にいい雰囲気で穏やかに、でもたくさん会話をしながら食事とワインを楽しんでいるのです。特にご主人の方が積極的に話しかけているパターンが多いです。日本人の同世代の夫婦の場合、けっこう会話が少なくて、2人黙々と食べているのを目にすることも多いですが、イタリアではそれはきっと多分あり得ないと思います。町の広場に行けば、ぽつりぽつりとおじさん達数人の固まりが点在していて、みんな立ったままひたすらしゃべってます。いわゆる井戸端会議ですが、この国は男たちもほんとお話好き。だから彼らは愛情表現も豊かなのかしらと、夫を横目に見てしまう私。いつか全て聞き取れることができる日が来たならば、まずあの輪の中に入ってみたいっと、密かに狙ってるのですが。。。無理?

<愛国心?それともただの不器用?>
イタリアでは、劇場映画もテレビ映画も海外のドラマ、アニメも、すべてイタリア語に吹き替えられています。テレビでハイジやらみつばちハッチたちがイタリア語でしゃべっているのを見ると、一気に彼らが大人びて見えるのは気のせいかしら。。ちなみに、日本のアニメは20年以上も前から放映されているそうで、今通ってるイタリア語スクールの先生、アンコーナ出身28歳のクラウディオは、幼少の頃から日本のアニメを見て育ち、それらアニメが生まれる日本の社会的背景と哲学、宗教観について学ぶべく、大学で日本語を学び日本に留学し、また半年前に日本に来たんだそうです。日本に興味を持つイタリア人って古典文化、伝統芸能などが入り口なのかと漠然と思っていたので、へ〜そこから入るパターンもあるんだぁとちょっとびっくり。で、テレビの場合の吹き替えは、まぁ日本でも同様に映画や海外ドラマを吹き替えてるので理解できますが、劇場映画まで軒並み吹き替えちゃうのはいかがなものかと。つまり、ハリウッドスター達の肉声は一切聞くことができないんですよね。別にいいのかな、そんなことは。ひょっとしたら、外国語が流れる端から字幕を目で追うという器用なこと(?)ができないのかしら。。それとも、我らがイタリア語しか聞きたくない?

<カメリエーレにイケメン多し>
これは決して驚くことでも不思議なことでもありませんが....。全くもって独断で、数もしれてる我がデータによって、トラットリア、リストランテなどで働くカメリエーレ達にはイケメンさんが多いと最近気づきました。そもそも女性のカメリエーラが圧倒的に少なく、ほとんど男性です。人間、一生懸命働く姿は誰しも美しいものですが、きびきびお仕事しない(偏見?)イタリア人の中で、とっても忙しくテーブルの間をまわってそれこそきびきび無駄なくサービスしている彼らの姿は、一層まばゆく映ります。若いカメリエーレには、セリエAのトッティやインザーギ系の彫刻的イケメンさんがそこここに、そして年配のカメリエーレは、ややその辺りの面影を残しながらも今度は体全体からにじみ出る誇り、自信のようなものが、がつんとハートを打ちます。当然、中にはとっても無愛想でやな感じの人もいますが、そういう場合にはノーチップでささやかな抗議(暗っ)。でも、ホテルやこじゃれたカッフェやバールでは比較的イケメン度は低いんだなぁ…。次回から統計取ってみようかしら。
独自の文化をもった小さな都市国家が集まり国となってまだ100数十年。地域によってカラーというか人の特徴があるにせよ、ひとくくりに”イタリア人”とよばれることを嫌がってるにせよ、私から見ればやっぱり彼らは”イタリア人”。不思議なことがいっぱいです。
最後に、日本人イタリア生活体験者の数あるエッセイの中で、特に私のお気に入りの1冊をご紹介します。写真家の芳賀八城氏による「イタリア生活アルデンテ」(ワニの選書)。これを読んでまた更に、イタリア生活を夢見るのでありました〜。