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<16/Febbraio(2月)/2005> a Assisi <2005年2月16日(水)>

4時前にばっちり目が覚め、そのまま眠れず....。
朝は4時半くらいから繰り返し流れるテレビのニュースで、南イタリア各地でどっさり雪が積もっている様子が映し出されています。ひょっとしてアッシジの辺りも.....と少々不安になってきました。
8時14分発のペルージャ行きレジョナーレ(地方列車)に乗り、約2時間後、右手に、山の中腹に横に長ーく拡がる白い要塞の町が見えるとほどなく到着です。
世界中から巡礼に訪れる人々が絶えない聖地である町にしては小さな駅ですが、幸いにもタクシーが何台か停まっていました。この要塞都市にまっすぐ向かっていくようにして走り、目の前まで近づくと、かなりおじいちゃんな運転手さんが突然、一番左手に一際大きく横長で奇妙な造りをした建物を指さして「サン・フランチェスコ〜」と教えてくれました。

旧市街に入る門をくぐると途端に道が狭くなり、更にずんずん上っていき、間もなくホテルに到着しました。おじいちゃん運転手さん、帰りはどーすんだ、迎えにきてやるよ、と予約を自ら受け付けてくれました。メモをとる手がぶるぶる震えてて、ほんとにちゃんと憶えてて来てくれるかなぁ..とちょっぴり不安。
HOTEL FONTEBELLA。東西に長いアッシジの町のちょうど真ん中辺りに位置しているので、散策に便利かなぁと決めました。部屋は広めでベッドも大きめ。バスタブもあるし、あと、タオルウォーマーがあるのは助かりました。朝食込みで70ユーロ(約1万円)はうれしい価格。また、レストランを併設していて、宿泊客は10%OFFよ、というフロントのお姉さんの言葉につられてとりあえず今夜の分を予約してみました。
HOTEL FONTEBELLA(レストランの名前はIL FRANTOIO)
Via Fontebella, 25 fontebella@venere.com
Fax : +39-075-812941 Tel : +39-075-812883


▲早速散策開始です。ホテルの周りは人っ子ひとりいなくて、石の建物に囲まれた小道坂道はまるで私のために用意された舞台セットのようです。まずはサンタ・キアーラ教会へ。聖フランチェスコの幼なじみでもあり最初の女性の弟子で、後に女子修道会を作った聖キアラが埋葬されています。ピンクと白の石灰岩が積み上げられた外壁とシンプルなファサードは、とてもかわいらしく女性らしい雰囲気を放っています。ここも97年のウンブリア大地震で大変な被害を受けたそうですが、その後の修復が完璧だったようで、とても700年以上のものとは思えない美しい状態で、新しい感じさえしました。内部は撮影禁止で厳しい監視があったため肉眼で脳に刻み込むのみ。でもやっぱり忘れてしましました..(涙)。地下室には聖キアラのお墓や修行服(サン・フランチェスコのものもあり)が保管されています。かなり恐れ多い空間でしたが、こっそり撮ってしまいました。教会前の広場のテラスからの眺めはとても気持ちがよく、雲の多いお天気が恨めしい.....。

▲白っぽくくすんだ不揃いの石で見事に積み上げられた壁や柱を見つめていると、本当に自分が現代という時代にいるのか危うい気分になってきます。そして場所柄、聖人をモチーフにしたオブジェやオーナメント、十字架のペンダントトップやロザリオなど、宗教的なものを扱うお店をたくさん見かけました。ただ、歩いてるうちに、シーズンオフのためかホテルやレストラン、一般のお店などの半分以上が3月までお休みなことに気がつき出します。どうりで人が少ないはずです。あー残念。

▲ローマ時代のミネルヴァ神殿が残る町の中心、コムーネ広場。紀元前1世紀に建てられたこの神殿の後ろには、16世紀に改造された教会が、お隣には14世紀完成のポポロの塔が、と不思議なバランスでまとまっています。広場から西へ二股に分かれる辺りにツーリストインフォメーションがあるので、そこで地図をGET。

こちらはドゥオーモ。聖フランチェスコも聖キアラもここで洗礼を受けたと言われています。正直、サンタ・キアラ教会より華はないですが、簡素ながら重厚なロマネスク式ファサードは、ウンブリア屈指のものとか。
内部の入り口付近に、フランチェスコとキアラの像が少し離れて立ち、礼拝者を迎えてくれます。床の一部がガラス張りになっていて、床下の石灰岩の切り出しが見えるようになっていました。こちらも内部は撮影禁止でした。
▲要塞都市は上からの眺めがいいと相場が決まっております。この町のパノラマポイントは、ここロッカ・マッジョーレ。駅からタクシーで来る時もてっぺんにいかつい城塞らしきものがよく見えておりました。但し、大規模な修復中でクレーン車が目立っておりやや興ざめでしたが....。ドゥオーモから、細い坂道や階段などを経てずんずん登っていきます。最近雪が積もったようで、町中でもちらほら溶け残りが見られましたが、この辺りは一気に気温が下がるのかまだ真っ白!しかも横殴りの風が身を切るように冷たくて、とにかく寒いーっ。城塞の堅固な雰囲気と曇天の陰鬱さも相まって、パノラマどころじゃないよーっ。気候のいいお天気のいい時ならホント最高だったろうと思います。ぐすっ....。

さぁ、本日のメインイベント(?)サン・フランチェスコ聖堂へ。町の西の端を占領する形で山にへばりつくようにして建ち、一際存在感を放つこの聖堂は、ジョットの「フランチェスコの生涯」を描いたフレスコ画の連作があることでもとても有名です。
聖堂前に着くと、ファサードの真ん前に変な物体が.....。よく見ると、3匹のぞうさんの像(しゃれではなく)が、それぞれ赤青黄色の三角帽子を背中に置いて並んでいます。何とも悪趣味。そばには何台かの大きなワゴン車も停まっています。あまりに不釣り合いでせっかくのファサード全体の写真も撮ることを断念。中に入ると、祭壇手前に大仕掛けのスタンドのようなものやカメラなどが設置してあり、巡礼とは無縁のような雰囲気の人たちでわさわさしています。どうもテレビの番組撮影の準備のようでした。かろうじて、ジョットの連作は全体を見渡せるよう囲いも考慮されていましたが、このわさわさ感が気に入らないわっと思いながら、28枚を1つ1つ彼の生涯をたどりながら見て歩きました。ここもほんとは撮影禁止です。ごめんなさい。
この聖堂もかの地震で天井から倒壊したのですが、何と2年強で修復し終えたという、イタリアでは珍しい驚異の速さで復活しています。そんな傷跡をみじんも感じさせない見事な修復力に、改めて感服します。
連作があるのは聖堂の上部で、脇の階段を下りると聖堂下部の入り口があるという珍しい二階式。上部が、天井が高くて交差ヴォールトが美しい開放感のある空間なのに対し、下部は天井が低く暗く恐れ多い雰囲気に満たされています。暗い中、各ステンドグラスの美しさが一層引き立ち、また壁一面を埋め尽くすジョットやチマブーエなどのフレスコ画にもすぐに目を奪われます。特に、チマブーエのフランチェスコの絵は、ほぼ目線の位置で見つめ合うことができるせいか不思議な感覚に引き込まれます。更に地下室には、サン・フランチェスコの遺体が安置されている礼拝堂があり、既に何人もの人が、中央に高く掲げられた棺に向かって深々と頭を垂れて祈っていました。彼の時代にはびこるキリスト教の絶対権力に屈することなく、清貧の中で誰もが分かる言葉で神の愛を説き、信仰を貫いたという真の聖人ゆえに、信者たちの思いは私には計り知れないと思います。
下部聖堂を出てすぐのサン・フランチェスコ広場を囲むようにして続く大きな回廊も絵になります。
旧市街のバスの発着地であるウニタイタリア広場へ出て、バスで駅まで行き、駅の裏手にあるサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会へ足を伸ばしてみます。この教会の青いクーポラは、町からの景色でもよく見え、比較的新しそうなので何ゆえここに?と気になっていました。
▲美しいフレスコ画で埋め尽くされた礼拝堂が両脇に並ぶ明るく広い内部の奥、ちょうどクーポラの下辺りにちょこっと小さな礼拝堂のようなものが...。ポルツィウンコラ礼拝堂。ここでサン・フランチェスコが死ぬまで祈祷し、また、聖キアラの修道生活始まりの場所でもあったとか。この礼拝堂を保存するためにこの教会が建てられたんだそうで、それまでは、むき出しで森の中にぽつりと建っていたんだとか。フランチェスコの”貧しさを尊ぶ精神”がここにも現れている気がします。そして、その様子を目に浮かべると、静謐さが一段と高まるような気がします。10人ほどしか座れない小さな礼拝堂の中でも、一心に祈る人たちが跡を絶ちません。

▲旧市街に戻り、さきほどのミネルヴァ神殿にほど近い考古学博物館に行ってみました。ここから300mほど離れた所にある絵画館(ウンブリア各地のフレスコ画やテンペラ画を展示)との共通チケットとなっています。博物館には、この付近で出土されたローマ時代の彫像の一部や墓碑などが展示されていて、また、さっきのコムーネ広場のローマ時代当時の石畳や階段、土台などもそのまま残されており、当時の広場の想像図と合わせて見ると、改めてここが古代からずっと続く町であることが分かります。

▲こちらもロマネスク式のより簡素なファサードを持ち、ひっそりと建っているサンタ・マリア・マッジョーレ教会。
その裏手から、ちょうどサンタ・キアラ教会の全貌が望め、その瞬間だけ太陽が雲から顔を出してくれて美しい暮色の1ショットが撮れました。これもサン・フランチェスコ様の思し召しでしょうか。

多分、サン・フランチェスコ通りから小径をのぞいて撮ったのだと思います。でも、帰国後いろんな方のアッシジ旅行記を見ていると、皆さんここを撮影されてました。なんだベストショットポイントだったのか〜

他にも、フランチェスコが十字架から「教会を建て直せ」というイエス・キリストの声を聞いた場所だというサン・ダミアーノ修道院や、初期の同志達と瞑想したり祈りを捧げた場所であるカルチェリの庵など、サン・フランチェスコゆかりの場所がいくつかあります。普段の私ならもちょっと頑張れたかも知れませんが、とにかく寒くて冷たくて、お店もどこも開いてないし、どんどん元気がなくなって、日暮れと同時にホテルでバタンキューと相成りました。
▲ホテル併設のリストランテは、1Fから一旦外へ出て向かいにあります。これだけ観光客が少ないとだーれも来てないかしらん、と思ってのぞくと、どひゃーっ、日本人ばかり40人以上がいる〜。ツアー旅行にレストランのあるホテルはつきものでした。ははは....。でも、行程にアッシジが組み込まれてるなんて、けっこう渋いツアーですな。
前菜に生ハムと黒トリュフソースのクロスティーニを、プリモには黒トリュフソースのストリンゴッツィというこの辺りの名物手打ちパスタを注文。そう、ウンブリア州はトリュフの生産地でも有名です。11月から3月までが旬なのでまさにドンぴしゃ。いずれも、オリーブオイルをたっぷり混ぜた香り高いソースでブォニッシモ!!窓から見える遠くにきらめく町の灯りが頼りなげで、それがまたロマンチック。外はテラスになっているので、ONシーズンはさぞ賑わってるんだろうなぁと思われます。
8時前には団体さんは皆とっとと部屋に帰ってしまい、貸し切り状態で至福のディナータイム。そしてドルチェには、ウンブリアのビスコッティーニがあるというので、それと食後酒のヴィンサントをいただきました。フィレンツェやプラートのビスコッティよりやや甘めですが、これもなかなかいけます。レストランの方のスタッフは皆家族のようで、ちゃんとしたリストランテの割にはアットホームな雰囲気でかなりリラックスできました。日本人観光客が多いのか、娘さんカメリエーラはかなり日本語がお上手でした。このまますぐに部屋に戻れるという気楽さもいいし、季節はずれの小さい町ですからこういうホテルはメリット大だわ、と痛感。だって他のリストランテはほっとんどお休みなんだもの(涙)....。明日の夜もきっとここで食べる気がします。もうちょっと安ければなぁ〜(ちなみにこの日で40ユーロ)。


日本語をそばでBGMのように聞いていたからか、ちょっとだけ妙に淋しくなって夜の散歩なんぞに出かけました。でも、人っ子1人歩いてない、オレンジ色の街灯がぽつっぽつっと灯る暗い小径に立って、スーパーもお総菜屋さんもないけどみんなどこでお買い物してるのかしらん...なんてつい日本的発想にとりつかれながら眼下でまたたくゆるい光を見つめていると、更に淋しくなってきました。

明日は日帰りでスポレートに行って来ます!