旅日記(オススメレストランやホテル情報もあり) 今月のお土産プレゼント 店主のつぶやきBlog 店主のひとりごと イタリア語のお勉強中の方へ ミラノ情報・2003年〜2005年 美味しいレシピ満載です! リンク集 フィレンツェのホームステイをご紹介しています お買い物代行承ります 翻訳サービスはじめました 直接商品をご覧いただけます
 
HOME > 旅日記
 
 

14/maggio (5月)/2013> a Trieste vol.1 <2013年5月14日(火)>


今日も朝から快晴なり!フィレンツェで少し雨が降ったくらいで、なかなか順調なお天気っぷりです♪
ただ、花粉症の時期だからか、くしゃみ、鼻水が日本にいるよりひどくなってきてます・・(;_;)

今日訪れる町は、イタリア半島の東の最端っこに位置する、フリウリ=ヴェネツィア・ジューリア州の州都、トリエステ。
7〜8年ほど前に須賀敦子氏の「トリエステの坂道」を読んでから、ずっと心に秘めてきましたが、この立地ゆえなかなか訪れるチャンスがなく、やっとこの度足を運ぶことができました。

ホテルの朝食は込みこみじゃないので、ちょっと早めに出発してカステッロ門のそばのBARでカプチーノと甘いパンで朝食を。

そのまま歩いて駅へ行き、トリエステまでの往復切符を購入します。帰りは乗り換えなしの直行ですが、行きはヴェネツィア・メストレ駅での乗り換え&30分待ち。
トータル片道3時間近くの小トリップです。


→退屈な普通列車でちょっとウトウトしてしまってるうちに、トリエステ中央駅到着!
お〜〜っ、なんてきれいで立派な駅だこと。
ミニスーパーも併設してるし、トイレもきれいだし、何だか高級リゾート地っぽいぞ(笑)

←駅前からまっすぐのびる幹線道路、カルドゥッチ通りには巨大でいかつい建物が並んでいます。
一瞬、ジェノヴァを思い出したのは、やはり元海運都市独特の町の造りや空気からかな。。

カルドゥッチ通り中程から東に続くイタリア大通りは、落ち着いたショッピングストリートとなっていて、19世紀終わりから20世紀初頭の重厚な建物群が軒を連ねています。

→そのイタリア大通りをずずっと突き当たりまで進むと、海〜〜〜!!!!!
このトリエステ湾は、もちろんアドリア海へと続きます。

本当は、トリエステ名物(?)とも言える”ボーラ”と呼ばれる猛烈な季節風(時速150キロを超えることもあるらしい・・)が吹く冬に来るという選択肢もあったのですが、やっぱり港町は青い空と青い海をまず見てからよね。。。と迷わずこの時期を選んだ弱気なワタシだったのでした(^^;
だから、今日は晴れて本当によかった。。


↑そして海を背にして振り返れば、目の前はこの広大な広場!旧市街の中心に位置するウニタ・ディタリア広場です。

ここでさくっとトリエステの歴史を。
古来長きに渡りビザンチンの支配下にあったトリエステは、1328年ヴェネツィアの支配を逃れるためにオーストリアに屈服。以来、ハプスブルグ家の領土内では平穏な歴史をたどります。1719年にはハプスブルグ家の自由港として認められ、オーストリア・ハンガリー帝国の重要な貿易港となり、女帝マリア・テレジアのもと、都市計画も順調に進みます。
1918年に一旦イタリアに併合されるも、紛争や混乱の時期が続き、晴れて1954年に正式にイタリアに復帰しました。

イタリアの一員になってまだ60年しか経っていませんし、長きに渡る他国の支配と複雑な歴史を抱えるせいか、実際ちょっとよその国にいるようにも感じます。


↑広場を囲む重厚で華麗な建物は、19世紀後半〜20世紀初頭に建てられた新古典主義様式の傑作で、かつてオーストリア・ハンガリー帝国の重要なポジションとして栄えたことを物語っています。
この広場、 夜のライトアップがまた美しいんだそうで・・・。でも、それまで待ってると今日帰れなくなっちゃうから断念(;_;)

←正面奥には1875年建立の市庁舎。
この手前には1751年製の「四大陸の泉」があります。

→市庁舎を正面にして左側の海側にある巨大なコチラは、1905年に建てられた政庁舎(現在の県庁)。近くで見ると、3階4階の外壁の金色のモザイク装飾がとても可憐で美しく、しばらく見とれておりました。


←政庁舎の裏手にあるヴェルディ劇場(1801年)。
月ごとにオペラの演目が変わるようで、今月5月は、プッチーニのトスカ!
はぁ〜イタリアでのオペラデビュ〜はいつになることやら・・

→政庁舎の海と反対側に、ストラッティ邸という優雅なパラッツォがあり、その前には老舗のカフェ・デッリ・スペッキのテラスが長〜〜く続いています。
それにしても暑そうですが、こちらの人は日差しなんてへっちゃらなようで。。

←市庁舎を正面にして右側の海側にあるのは、海運会社のロイド・トリエスティーノ館(1883年)。

それにしても、広場でかすぎ。日差しも半端なく強いので、横断するのも一苦労でした。

→18世紀半ば、当時の帆船に安全な港を提供すべく作られた大運河の一部が今も残されています。
ん〜〜画になりますな。

←運河沿いにこれまたずらりと並ぶカフェ。
港町ならではの風景です。

トリエステ在住の方のブログで良さげな昼メシ処を見つけたので、行ってみました。
目当ての通りに入ると、1点だけ賑わっている箇所が目指すお店、ダ・ジョヴァンニ。

カウンターで立食できる店内は既にごった返していたので、運良く1卓だけ空いていたテラス席に座ります。


トリエステ料理の特徴は、やはり歴史的な背景からオーストリアやハンガリー、スラブなどの東方系の影響が色濃く見られるようで、スパイスや香料を多様するのだとか。
いんげん豆やザワークラフトなどを煮込んだミネストラスープ”イオータ”や、牛肉、玉ねぎ、じゃがいもなどをスパイシーに煮込んだ”グーラッシュ”(昨夜ヴィチェンツァのトラットリーアでMARIが食べたのも確かグーラッシュだった)など。。。
←そんな中、私が選んだのは、トリエステ風”ボッリート・ミスト”。いわゆるミックスゆで肉ですが、これらは全部豚肉です。

↑普通のモモやロースに加えて、タン、パンチェッタ、ザンポーネ(豚の前足にひき肉を詰めたもの)、ソーセージのコテキーノなど。。付け合せのザワークラフトやマスタード(いずれも超美味!)と一緒にいただきます。

これをオーダーして待っている間、2人のちょっと年の離れたシニョーラ達が相席を求めて来たので、もちろん承諾。
70代と思われる年上の方が話しかけてきて、彼女たちはお隣の国スロヴェニア出身の母娘で、ここのすぐ近所に住んでいることが分かりました。
お孫さん(同席した娘さんの娘さん)が広島に行ったことがあるとか、吉本ばななの本を読んだとか、色々と日本については興味があって行きたいんだけど、遠すぎるわ〜と。

ボッリート・ミストが出てきたときは、お二人でお〜〜!と歓声をあげられました(笑) でも、カロリーが高いからお二人は冬にしか食べないいんだそうです。
トリエステ料理では”イオータ”も興味あるんだけど・・と話したら、すかさずマンマが「私の得意料理よ。今日はここに泊まらないの?いつ日本に帰るの?次回来た時はご馳走するし、スロヴェニアも見て欲しいから連絡して!」とうれしいお誘い。
そんなカンジで楽しいランチを過ごし、さくっと軽めのランチを済ませた彼女たちはお先に退席。マンマに名刺(社長さんだった!)をいただいて、私もプライベイトのメルアドを書いて渡して、ハグしてお別れしました。

お会計時、レシートを見ると、私が飲んだ白ワインのカラフェ分が入ってない・・・。
カメリエーラに尋ねると、「さっきのシニョーラが払ってってくれたわよ」って。きゃ〜〜♪
もちろん、この夜ヴィチェンツァに戻ってから早速マンマにお礼メールを送りました。

あれから3ヶ月ちょっと。「次にイタリアに来るときは知らせてね」とか、8月に入ってからは、広島と長崎の原爆の日にあたって「Noi tutti vi siamo vicini(我々はあななたちのそばにいます)」という追悼メールを送ってくれたりしています。
スロヴェニアかぁ〜〜。マンマの時代は激動で、トリエステに移住したいきさつなど色々ありそうで、私がそれをどこまで理解できるかかなり怪しいですが、一度訪れてみたいです。

このステキな出会いをもたらしてくれたトラットリーア、地元人の人気ぶりから見ても、ボッリート・ミストの美味しさからしてもオススメです。カウンターで同じものをいただくと、3割ほどお安め。
  Trattoria DA GIOVANNI
   Via San Lazzaro,14
   http://www.trattoriadagiovanni.com/

もちょっとトリエステ散策が続きます・・・