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《 zio の La piccante vita 》 -NONO-(2002/06/04)    <バックナンバー>

Ciao carissimi!
(チャオ カリッスィミ!/やあ、みんな)
E' iniziato.
(エ イニツィアート/始まりました)
E' iniziato quello.
(エ イニツィアート クエッロ/例のヤツが始まりました)
E' iniziato quello che accade una volta ogni quattro anni.
(エ イニツィアート クエッロ ケ アッカーデ ウーナ ヴォルタ オーニ クアットロ アンニ/四年に一度の例のヤツが始まりました)
E' iniziato il Mondiale.
(エ イニツィアート イル モンディアーレ/ワールドカップが始まりました)

                                  ※

 店長のヨリさんにさんざん更新の催促をされながらも、かたくなに沈黙を守り続けていましたが、ついに我慢ができなくなり「限定的に限定エディション」と題して今回の《 zio の La piccante vita 》をお送りします。
今日(6月3日月曜日)、Fratelli d'Italia(フラテッリ ディタリア/イタリア国歌→イタリア代表)が、日の出国でワールドカップ初戦を戦いました。 試合の模様や結果は、日本にいるみなさんの方がよくご存じのことでしょう。ですから、試合に関してのコメントや解説はあえて書きません。
今回の内容は、『試合開始30分前からのイタリア』です。「イタリア」と書いてしまいましたが、実際は私が住んでいるボローニャの状況のみです。でも、ボローニャ以外の町でもほぼ同じことが起こっていると確信しているので、あえて「イタリア」とさせていただきます。 現在、日本とイタリアの時差は7時間。試合開始が日本時間の午後7時30分。イタリア時間では午後1時30分。従って、仕事をしている大半の人にとっては、運が良ければ昼休み、大学生は当然昼休み、小・中・高生はずる休みしている時間帯です。かくいう私は、いつになく早起きし仕事を早めに片づけ、何とか12時30分から2時30分の2時間だけフリータイムを稼ぎ出しました(ずる休みじゃないっすよ)。

では、早速試合開始30分前のボローニャのメイン通り"Via dell'Independenza"(インデペンデンツァ通り)の様子を見てみましょう。
歩道を歩く人はまばら。しかも歩いている人の8割は女性。残りの2割は公務員か外国人か路上生活者です。交通量もクルマの市内進入規制が引かれる日曜日なみに少ないです。
通常この時間帯は、まだ商店も開いていますし、特に月曜日の午前中から1時30分くらいまでは、日曜日中に消費してしまった食料品を買い込む人の姿が結構見られます。しかし、今日に限っては…ご覧の通り。

ちょっと足をのばして、ボローニャのメイン広場"Piazza Maggiore"(ピアッツァ マッジョーレ)の様子を見てみましょう。

おっと、試合開始まで後10分。私もそろそろ試合を観る場所を探さねば!
通りを歩いているとこんな張り紙を発見。先ほどの"Via dell'Independenza"から脇道の"Via Bertiera"へ。
メイン通りがあの有様なので、この脇道の様子は言わずもがなですよね。
ああ、ちなみにこの通りには"La Farfalla"という、なかなか趣のある、しかもかなり美味しいボローニャ料理を出すトラットリアがあります。

かなり薄暗いバールの中へ。さぞかし熱い"tifosi"(ティフォーズィ/ファン)たちで熱気むんむんか、と思いきや、中にいたのは4〜5人だけ。全て男。それもおじさん。奇妙な目で見られながらも一番奥の席を陣取り、ビールを飲みながら試合観戦開始。
前評判では、対戦相手のエクアドルに関する情報が少なかったせいと、ディフェンディングチャンピオンのフランスがいきなり新顔のセネガルに破れたことも相まって、『実はイタリア不利かも?』説が流れていました。しかし、ふたを開けてみれば…
この笑顔。
2002年6月3日、イタリア時間午後1時30分から2時15分の45分間、人気のないイタリアに2度歓声が響き渡りました。
しかし、この歓声を客観的に聞いた人は約2割程度と言われています。

残りの8割は、解説者として、審判として、選手として、そして愛国者として、テレビの前で4年に1度のこのお祭りに100%参加していました。
amore e pace
zio